横浜かもめスポーツクラブ
50周年記念ウィーク!
たくさんの方にご参加いただき無事終了いたしました(^^)
横浜かもめスポーツクラブ50周年にあたり
1974 年南神大寺団地、南神大寺小学校が開設した 7 月に横浜かもめスポーツクラブの前身となるかもめサッカークラブとして産声をあげました。
当時は南神大寺団地だけでなく周辺に団地が完成していたようで、初代会長である大塚英男さん、初代監督木村憲治さんを中心に活動が始まりました。
堤理事長や中島義男さん、中島忠男さんがコーチとなり、最初は 5.6 年生で 1 チームできるくらいの人数で活動をしていましたが
「苦しいときも弱音を吐かない!二十一世紀へ向けて大きくはばたこう」
現在もクラブの合言葉でもある「NEVER GIVE UP!」のもとに急速に入会者も増えていったようです。
数年後に南神大寺スポーツクラブと改称し、子供は1つのスポーツに特化して育成できるものではないという考えかたでサッカーを中心に、バスケ、学習活動、社会貢献、乗馬、カヌー、スキー、スケート、サイクリングなど様々なことにチャレンジしていました。
設立翌年からは現在まで続いている山中湖での夏合宿もスタートしました。
現在は行われていませんが、夏合宿では近くに沢があったころは沢に放ったますのつかみ取りを行った記憶もあります。
このころから、選手を中心に、指導者・保護者との良い関係がこれらがうまく組み合わさることにより子供たちの人間育成に通ずるという現在も根底にある理念が生まれています。
1976 年からは
茨城県神栖サッカー少年団とのホームステイ交流なども行いました。これは 15 年間続いたそうです。お互いにホームステイをしながら、神栖杯をいう交流試合を行ったりしていました。
現在は鹿島アントラーズの影響で神栖町も様変わりしましたが、現在の冬合宿でも交流試合を行う、息栖サッカークラブなどはそのころからのお付き合いです。
1990 年代には上海の少年団との交流を積極的に行いました。
長く続けていると、クラブからも様々な世界で活躍する方も生まれてきます。
1983 年Jリーグが始まった年に、横浜マリノスに所属し、その後徳島ヴォルティスなどで活躍した 5 期生の松下豊さん山梨県甲府市で指導者としてご活躍しています。
そして、横浜Fマリノスアカデミーダイレクターを務める坪倉進弥さんは 13 期生となります。
その弟の坪倉由幸さんはお笑いトリオ「我が家」としてだけでなく現在は俳優としても活躍されています。
そして、今年 8 月に 2 人目のプロ選手となった
43 期生高橋友矢さん
彼は幼稚園から当クラブ所属の選手でした。
小学生当時から考える力や実行力がとても高かったと思います。
また、挨拶などマナーの部分は仲間への指摘なども含めてとにかく積極的に行うことができていました。このような人間力の高い選手がプロになるのだと実感しています。
このように様々な活動を行いながら 50 年間を過ごしてきました。
最近は年間を通じたリーグ戦などが多く、サッカーに偏りすぎている感はありますが、我々はスポーツクラブです。
昔と違い習い事などで忙しい選手も多い中ではありますが、これからもたくさんのことにチャレンジしていきたいと思います。
子ども達がたくさんの経験を通じて、人間力を磨ける環境であり続けるためにまだまだやらなければならないことがたくさんあります。
これからもわれわれスタッフも人間力を磨きながら、選手と共に横浜かもめスポーツクラブも成長していきたいと強く思っている今日この頃です。
保護者の皆様におかれましては是非今後ともたくさんのご協力をお願いいたします。
そして選手たち、ぜひいろいろな経験の中で自分でやることの力を磨いてください。
がんばって楽しんでいきましょう!ありがとうございました。
横浜かもめスポーツクラブ
代表 石原 史敬